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青木勇人選手

キングス公開練習の後、スター選手がサイン攻めにあい、若い選手たちが帰り支度をしている中で、一人黙々とダウンを続ける青木選手の姿があります。バスケット選手としては若くない年齢(34歳)にあり、自分の体と会話するかのようにストレッチを続ける姿はとても印象的です。
そんな青木選手の、アナザーストーリー(笑)
青木選手と僕は“神奈川出身、沖縄在住”というところで共通していて、彼の母校である鎌倉学園高や専修大にも行ったことがあります。もしかすると沖縄に移り住んでの印象にも共感できる部分があるのではないかと思い、練習後によくお話しを聞かせて頂いています。
関東大学リーグの専修の順位は今でも気に掛けているそうで、『今年は飛びぬけたスター選手がいるわけではないのに、この成績(3位)にいることが嬉しい』と言っていました。
彼の高校時代の母校・鎌倉学園(通称かまがく)は、偏差値が65ほどあって、野球やサッカー等のスポーツも強い文武両道の進学校。桑田佳祐さんの出身校としても有名です。
その学歴が関係あるかどうかは未確認ですが、彼の記憶力の良さにはたびたび驚かされます。
先日のキングスの開幕戦の後、客席のはたぼ~さんのところまでわざわざ挨拶に行っていたので親しい仲だと思っていたのですが、後で確認したところ『アルビにいた頃に挨拶したことがある程度』なんだとか。プロ選手が、挨拶したことがある程度の相手をいちいち回っていたら大変なことになりそうですが、これも彼の人柄でしょうか。
JBLの休廃部のことが話題になると『熊谷組や住金、三井、ジャパンエナジーにNKKにいすゞ、ボッシュ。日立だって昔は本社と大阪がありましたからね。』と、まるで返事を用意していたかのようにスラスラとチーム名が出てきます。
フロントや選手がどんなに頑張っても母体会社の業績が悪ければ廃部されていた時代のなか、青木選手自身も大和証券の休部という憂き目に遭い、プロチーム・アルビの誕生やbjリーグの発足を一番近いところで支えてきました。
『あの頃はほとんどの選手が会社員で、プロ契約している選手なんてほんの一握りでした。そして当時は休廃部が相次ぎ、リーグそのものが無くなるのではないかという不安をいつも抱えていました。
大和は、アルビというプロチームに生まれ変われたことが良かったと思います。今はこうしてプロとしてバスケットを出来る環境が出来ているので、今の若い人たちが羨ましいです。』
話が終わった後、彼は再び入念なストレッチを始めました。 豊富なキャリアと知識で、これからも若いチームを引っ張っていって下さい。bjリーグのチーフ(ロバート・パリッシュ)と呼ばれるその日まで。

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この記事を書いた人

「バスケットボールマガジン 琉球バスケ王国」や「バスケットボール沖縄」、バスケットボール専門誌「OUTNUMBER」などに記事を寄稿しています。

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